親のこえまとめ

the 1st experiences

子育て歴約10年。慣れるどころか、いまだに日々真新しい出来事に直面している。とりあえず突っ走ってここまできた。息切れの連続である。

そして、真新しい出来事のひとつに、昨年より加わったのが、娘の学校への「行き渋り」である。転校を機に始まった「行き渋り」―。我が家の一大事である。今までの親子関係の積み重ねと、新たに生じた問題も絡みあう、複雑な状態が、現在の「行き渋り」となって表れたのだ。たくさんの原因のピースがある中、どこをどう解くと、こうなる、なんて明快にはいかない。ただ、娘を観察して、試行錯誤の毎日。とにかく気長でなくてはならないが、短気な私は、大いに弱る。短気は子育ての大敵だとわかってはいるけれど、時折激切れしてしまう…。同学年の小学生の母よりは、子供と過ごす時間が比較的長く、堪能してしまうときもあるが、その時間こそ娘を観察するチャンスでもある。その中でわかってきたことに、子供が時折発する「ぎゅっとして」というだっこをせがむ言葉がある。自信が不足しているサインらしい。要は、何らかの原因で失われた自信を、コップの水がいっぱいになるように満たしてあげたらよいのだ。いかに自信をつけてあげるか?目下あれこれと試み中である。

そして、こんなに人に「ぎゅっとして」と言われることは後にも先にもないだろうから、この触れ合いを、この機会を大切に、過ごそうと思う。日々雑事に追われるが、なかなかない経験を子育てでさせてもらっているのだから、ありがたく、「行き渋り」も受け止めていけたらと思うようになった。

 

 子育ては、気づきの連続。こどもが、教えてくれることだらけだ。いまだに難所は続くが、それだけの大仕事をさせてもらっていると、子育ての機会を与えてもらっていると思うにいたった。

 


the 2nd experiences

 

雪解けが進み暖かくなって、花々が咲き新緑が芽吹き始める春。

世の中にとっては心弾む心地よい季節かもしれないが、学校に足が遠のいている子がいる家庭にとっては憂鬱な時期であろう。

一年かけて作り上げてきた担任や管理職との関係が人事異動によってリセットされ、新たに我が子の居場所を作るための対話が始まるのだ。

また子(当人)にとっては新学期からリセットのつもりで動き始めようとするも、続かなかった・達成できなかった自分に消沈し自分を責める行動や考えに染まってしまうかもしれない。

我が家は学校と距離を置き始めてまだ数年だが、今世は身分社会であり、教室は社会の縮図と化していると強く感じている。

子ども達に求められているのは高学歴・大企業への就職や、スポーツならば金メダルやWRが最高到達点でありその道から外れたものは、ある程度の暮らしで満足するしかない競争社会。

離れたからこそ、この異様さに気づいた。

その最高到達点にいる人々の食料・衣料・住居は誰が創造しているのかという視点がごっそり抜け落ちている。

すべては数字で成り立つ世界

本来生まれ落ちた時には〝幸せになってほしい〟と思ったはずなのに成長とともに周囲の欲が肉付けされ、その思いを無意識に感じた子どもは自らの欲求よりも喜ぶ顔が見たいからと周囲の思いをくみ取り達成しようとする。よって自分の評価が他者依存になってしまう。

これでは自分の欲求に気づけず生きる力も弱くなるし自分を大切にできない。

学校を拒否した子どもは自分の思いに正直である分、本来の生きる力は強いのだ。ただ嘘がつけないだけかもしれない。

不登校対応には【見守りが大事】といわれているが、根底に〝この子は生きる力が強い子だ〟と認識さえあれば放牧のように、ご飯と安心できる寝床さえ用意すればいいのではないだろうか。

 

学校関係者が否定的であろうとなかろうと我が子のいいところは家族がよく知っている自信がある。それで充分と思った中三の春でした。


the 3rd experiences

息子小6の今、学校に行っていない現状を憂いてはいません。とはいえ、学校に関わることすべてをやっていないので、日々過ごしていて不安や焦りが頭をよぎることは、正直なところまだあります。

行き渋り、、、今となればあれが行き渋りというものだったのだな、と思うくらい、実は息子の現状に向き合っていなかった4年生の頃。目の前の出来事に囚われていたし、入ってくる情報は担任とのやりとりだけ。ネットで色々見たこともありましたが、どうにも判断できずに親子共々心がボロボロになるだけの毎日でした。今思うと、どうしてもっと早く息子の気持ちや心を楽にさせてあげる方に目を向けられなかったのか、なんと無知だったか、後悔はいーっぱいです。そして、そんな母を前に諦めずに自分を通してくれた息子に感謝しています。あの時の辛さや後悔があるから、私も変われたし、見えていなかったものに気づかせてもらえていると思っています。でもあんな辛さを経験する親子がいなくなってほしい。そのために自分に何ができるかな、何かしたいなと思っています。

自分が辛い時に、経験者の方の話を聞けてほっとしたこと。今立ち止まっても、その先に進む道は途絶えてなくて、いくつもその人なりの場所にたどり着く方法があること。そういった多彩な情報に救われたこと。

ご縁あって、今の親の会に参加させていただいて、本当に心軽く、心強く思います。

さて、うちの息子、色々な方に理解してもらい、助けられ、見守られて今があります。 学校外生活、時に悩んだり苛立ったり落ち込んだりしながらも、ますます楽しくて充実したものになっていく予感です。